【#富士山頂ゲーミング】山の頂上には一体なにがあるのか
今年もやってきました。富士山が開山し、大勢の人たちが山頂を目指すこのシーズン。
僕たち「#富士山頂ゲーミング」チームも、7月16日から17日にかけて登頂を予定しています。
この「#富士山頂ゲーミング」というのは、とてもシンプルなゲームイベントで、名前の通り「富士山の頂上でゲーム」をします。それだけです。
発案者は僕の友人であり、『ロケットリーグ』というスポーツゲームのコミュニティで、よく大会実況をしているkokkenくん。彼はなかなか面白いヤツで、よくぶっ飛んだことをしています。
どのぐらいぶっ飛んでるかは別の機会にガッツリと記事にしたいんですが、簡単にご紹介しておくと、彼は北海道出身で、突然「海に行きたい」という理由で沖縄に移住……したと思ったら、ある日「そろそろ帰るか」と言って、ロードバイクにまたがり、札幌にむかってペダルを漕ぎだすようなヤツです。
なぜ、山のうえでゲームをするのか
さて、富士山にゲームをしにいくと周囲に話すと「なんでそんなことするの?」とよく質問されます。
そもそもこの企画、ゲーミングPCを担いで日本を横断していたkokkenくんが、通りかかった富士山にもついでに登りたくなって、「このままPCを背負って登るか」という謎の決断をしたことから始まった、偶然の産物のようなもの。実際に登ってみたら「思いのほか富士山がサイコーだった」ということで、彼がコミュニティのメンバーたちと毎年やることにしたイベントです。
とはいえ、「なんでこんなことをしてるのか」とか「どこが楽しいのか」について考えてみるのも面白そうです。
富士登山は、日常から離れる解放感、登頂した時の達成感、そして山頂で待ち構えている見わたす限りの絶景、などなど、語りつくせないほどの魅力にあふれています。ただ登山するだけでも、きっと満足できるはずです。
ではなぜ、わざわざ山の上でゲームをするのか。
正直なところ、まだ確かな答えは見つけられていません。ただ、この企画に参加すると「コミュニティを形成して、目的を達成する楽しさ」みたいなものがストレートに感じられる気がします。
- 参加者が同じ目的をもって、同じ方向を向いている=他者の行動が予測できる/自身の行動選択に迷わずにすむ安心感
- 顔なじみの参加者がいる=共通の話題がある気持ちよさ(文脈が共有されているのでコミュニケーションが楽)
- 提供される”完成されたサービス”ではなく、自分が影響を与える余地、余白がある自由さ
このあたりが思索の手がかりとなるかもしれません。
今回参加してみて、もう少し考えがまとめられたら、記事かLTなどでアウトプットできたらと思います。
去年は途中で雨ふってきて大変だったので、今年は晴れるといいなぁ……。