I copy.

My logs.

技術としての愛

愛について大して考えたこともなかったけど、三十路を迎える前に一応は考えておきたい。

思えば、愛をもってる(語ってる)ような人たちが、ずっと僕のライバルだった。なにかを愛している状態の人はいつだって強い。そういう人たちは愛してるものに対して際限なく自分の時間やお金を注ぎ込めるし、それをコストだとも感じない。最強。

その人たちに対抗するために、その人たち以上に時間と労力をかけて、頭をフル回転させて戦ってきた。それでなんならたまには勝つこともできたりして。

ただ、どうあがいたってコストと感じるものは、やっぱりコストでしかない。(彼ら彼女らと違って)労力をかけたぶん疲弊するし、疲弊して倒れないためにどんどん効率化して、どんどん手を抜くようになる。そのあげく手を抜いてもそこそこ戦えるような術を、僕はいくつか手に入れてしまった。

そして、そうして惰性で戦うことが、あんまり面白くないことにも気づいてしまった。バチバチ戦う方が、そりゃ絶対に楽しい。

じゃあ、どうしようか。

もう一度同じやり方で、コストを無視してがむしゃらに取り組むのも芸がない。ここはひとつ愛を試してみよう、と思った。

「我を忘れて何かに夢中になる」(疲労を感じずに全力で走る)状態。愛をどうにか再現してみよう。技術として手に入れよう。強さってのは案外そういうものかもしれない。

ということで来年のテーマは「愛」だ。良い一年にしよう。