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My logs.

お命、頂戴します

命とは、生きる時間のこと。つまり「時間」とは「命」だ。

「時間を使うこと」は「命を使うこと」であり、たぶん「生きていくこと」も「死んでいくこと」も同じことだ。

だから、自分の命を大切にしよう。時間を大切にしよう。

――なんてことを考えていたんだけど、ブログを書く前に調べてみたら、すでに昔から言われている話だった。不勉強だと、こうして命(時間)を無駄にすることもある。

最近も命を無駄にしていたことに気づかされる出来事があった。自分が手探りで編み出した思考のロジックを友人たち相手に意気揚々と披露していたら、「〇〇という本に、君みたいな人が出てくるよ」とそのロジックがすでに世にあるものだという話がでた。その小説は、おおよそ100年ぐらい前に書かれていて、読んでみると友人の言うように僕みたいな思考ロジックの人が描かれていた。僕程度の人間が考えつくようなことは、たいてい先人が考えてくれている。先人は偉大だ。先人の知識に触れてこなかった不勉強な僕は、必死に車輪を最発明して、よく命を無駄にしている。

一度自分で考えてみないと納得できない性分だし、自分で発明したからこそ応用が利きやすい、ということもあるだろうから、まあ一概に無駄とは言えないだろうけど。

それよりも気をつけなきゃいけないことは、「人の命を尊重する」ということ。

他人に時間を割いてもらうことは、つまりその人の命をもらうことだ。記事タイトルのとおり「お命を頂戴する」ということだ。そして無為に人の時間を奪うことは、すなわち人の命を奪うことになる。つまり殺人だ。……とか言ってたら、委縮して人に話しかけられなくなりそうだけど。

少なくとも「2人以上で過ごす時間」に対して、僕はもっと敏感にならないといけない。デートも、仕事のミーティングも、動画配信をするときだって。そこでは相手と自分の命を同時に扱うことになるわけで。その時間を、より有意義に価値あるものにする工夫と努力がなされなければ、自分や相手の命を粗末に扱っていることになってしまう。

「もっと命を大切にしよう」 週末の誕生日を迎える前に、28歳の抱負を書いておきます。

読了ありがとうございました。お命、頂戴しました。