I copy.

My logs.

お命、頂戴します

命とは、生きる時間のこと。つまり「時間」とは「命」だ。

「時間を使うこと」は「命を使うこと」であり、たぶん「生きていくこと」も「死んでいくこと」も同じことだ。

だから、自分の命を大切にしよう。時間を大切にしよう。

――なんてことを考えていたんだけど、ブログを書く前に調べてみたら、すでに昔から言われている話だった。不勉強だと、こうして命(時間)を無駄にすることもある。

最近も命を無駄にしていたことに気づかされる出来事があった。自分が手探りで編み出した思考のロジックを友人たち相手に意気揚々と披露していたら、「〇〇という本に、君みたいな人が出てくるよ」とそのロジックがすでに世にあるものだという話がでた。その小説は、おおよそ100年ぐらい前に書かれていて、読んでみると友人の言うように僕みたいな思考ロジックの人が描かれていた。僕程度の人間が考えつくようなことは、たいてい先人が考えてくれている。先人は偉大だ。先人の知識に触れてこなかった不勉強な僕は、必死に車輪を最発明して、よく命を無駄にしている。

一度自分で考えてみないと納得できない性分だし、自分で発明したからこそ応用が利きやすい、ということもあるだろうから、まあ一概に無駄とは言えないだろうけど。

それよりも気をつけなきゃいけないことは、「人の命を尊重する」ということ。

他人に時間を割いてもらうことは、つまりその人の命をもらうことだ。記事タイトルのとおり「お命を頂戴する」ということだ。そして無為に人の時間を奪うことは、すなわち人の命を奪うことになる。つまり殺人だ。……とか言ってたら、委縮して人に話しかけられなくなりそうだけど。

少なくとも「2人以上で過ごす時間」に対して、僕はもっと敏感にならないといけない。デートも、仕事のミーティングも、動画配信をするときだって。そこでは相手と自分の命を同時に扱うことになるわけで。その時間を、より有意義に価値あるものにする工夫と努力がなされなければ、自分や相手の命を粗末に扱っていることになってしまう。

「もっと命を大切にしよう」 週末の誕生日を迎える前に、28歳の抱負を書いておきます。

読了ありがとうございました。お命、頂戴しました。

添えられるメンマ

「この店は仕事が丁寧だと評判らしいですよ」と僕は言った。

僕は友人とふたりでラーメン屋にきていた。

実際、このラーメン屋の仕事はとても丁寧だった。麺を優しく覆う大きなチャーシュー。どんぶりのうえに山をなす白いネギ。グルメ情報サイトの口コミによれば、ここに添えられるメンマは、盛り付け前に湯通しをしているらしい。

僕がそんなうんちくをしゃべりだす前に、彼は一言そっけなく「(仕事が丁寧なのは)この麺を見たらわかりますよ」とこたえて、麺をすすり上げた。彼には余裕がある。彼の働きぶりを直接見たことはないけれど、きっと彼も丁寧でいい仕事をするだろう。

彼とラーメンを食べながら、僕には余裕が足りないなぁ、と思った。

「目の前のタスクをひたすらこなす」的な仕事の仕方を卒業してかなり月日が経っているのに、今でも忙しさにかまけて目の前のタスクをさばくだけの仕事をしてしまうことがある。まだまだ余裕が足りない。

このラーメン屋のように丁寧で細やかな仕事をするのには余裕が必要だ。

こうした余裕を生み出すための考え方とか仕組みとか経験とか、これからはそういうのをもっと意識してみよう。

それにしても毎度こうして気づきを与えてくれる友人とラーメンは、やっぱり偉大だなぁ。

職探し

「若者と言えばまだ若者だし、おじさんと言えばもうおじさん」という中途半端な年齢になった。そのせいか、最近は人からよく相談を受ける。たいてい年下の子たちからで、たいてい内容は「就職」や「転職」、それから「人生」とか「生き方」についてだ。

正直たいした受け答えはできてないと思うので、そういう相談話のあとはいつも申し訳ない気持ちになっている。その一方で自分の考えを言葉にする良い機会をもらっていることに感謝もしている。ありがとうございます!

やっぱり人にものごと説明をするのは良い。人に理解してもらうためには、自分の考えを整理して話さないといけないので、日ごろモヤモヤ考えていて掴みどころが見当たらなかったトピックでも、人に話しているとその輪郭が見えてくる。

必要なのは「理想」だ。どうなりたいか、どこに向かいたいか、何を成し遂げたいのか。そういうゴールがなければ、就職も、転職も、どういう生き方すべきかも、判断できない。

まずは夢を、理想を描くこと。あとはそこを目指して、今どういう判断をすべきかを検討すればいい。

……ということは小学生でもわかっている話で。目標を設定して、その目標を達成するのに必要なことを洗い出し、スケジュールをたてて実行する。それだけ。

超簡単。そんなことはみんなやっている。

問題はこんなことを書いていながら、なさけないことに僕には大きく掲げられる夢や理想が存在しないことだ。僕が今この業界にいるのは、そういう夢や理想を持っている人が多いからかもしれない。正直うらやましい。

ただ一方で、こんな僕みたいな人も一定数いる気がする。一応、参考になるかわからないけど、ここには僕の例を書いておく。

今はないけど、いずれ夢や理想ができるだろうと思っている。だから、いつか目の前に出現するだろうその理想を実現するために、当面は足腰を鍛えることにしている。経験値稼ぎだ。

経験値を貯めて、いろんな武器を持っておけば、自分にやりたいことができたときにきっと役に立つ。

備えあればなんとやら。今はそんな感じのスタンスで生きていくことにしている。


あ、そうだ。今、ゲームイベントの仕事したい方を募集中です。 ご興味のある方、ぜひ声をかけてください! とりあえず経験値は荒稼ぎできると思います。

ポジティブ自虐思考

最近、どんな失敗やトラブルも、まずは「原因は全て自分にある」と考えるようにしている。

例えば、発注した商品が納期に間に合わない、という困った事態が発生したとする。

「納期を守らない相手に責任がある」と判断して、クレームを入れるとか、相手方に損害に対するリカバーを求めるとか、そのとき適切とされる対応はしっかりをするとして。実務での対応とは切り離して、自分の中で一度「このトラブルの責任は自分にある」と考えてみる。

納期が守られる、という結果のために、はたして自分は最善を尽くしただろうか。相手に期日のリマインドをしていたら、発注時に納期の重要性を説明していたら、こまめに進捗確認していたら、どういう結果になっていただろうか。

例えば、贔屓にしているeSportsチームが大会で惨敗したとする。

チームに勝利してほしい、という願望のために自分は最善を尽くしただろうか。彼らの士気が高まるような応援メッセージを送っていたら、チームがより良い環境で練習に励めるように寄付金を送っていたら、厳しい目線で毎試合をすべて批評するブログ連載をしていたら、はたして大会の結果はどうだっただろうか。

望まない結果になってしまった現実を前に、それを自分のアクションで回避した世界を空想する。そうしていると、気づけば他者に感じていた苛立ちや不満はいつの間にか薄れていたりする。むしろ建設的でポジティブな気分になっていることも少なくない。精神衛生にも良いし、この思考から新しいアイディアが浮かんだりもしている。

ということで、今のところ良いことづくめだし、当面はこれを続けてみようと思う。

『全て自分のせい』